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人間の歴史などというものは、とても一個人の意思や努力などが、通用する相手ではあるまい。
歴史などと言えば、大袈裟だという誹りを受けるかもしれないが、一個人の運命が複雑にからまって、多数の運命を構成し、やがて、それは歴史と呼ばれるものになる。巨大な歴史の歯車のアナロジーを、一個人に見ることができると言っても、あながち嘘ではあるまい。
いつものように、今日書いた小説から。
これは、私の思想の根源にあるものですね。まるで、他人事みたいですが、それも恒例のことです。
最初のセンテンスで、歴史を運命と言い換えても、意味の変化はないと思われます。早い話、人間に自由意思などというものは、ないということです。
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